2015年1月11日日曜日

昭和44年9月8日 林道加須良線に入る

青春に怖いものなし
 45年も前の記憶をひも解きながらこんな感じだったかな?の様な部分も多い
昭和44年の9月8日晴れ、親友Tと前日高山に泊まり日下部邸等を見た。国道156号から単車で林道加須良線?を入る。地図の赤い実線がそうである。
勿論今考えると地図に林道加須良線があったに違いない。只今の様にここが加須良入口とも書いてなかったろうに!
多分加須良川は表示されていたからそこに沿ってある道の入口に入ったと思う。
とにかくその加須良線に入ったのだ。
岐阜、高山、の情報はパンフレットや雑誌以外は全くない時代、まして加須良なんて論外。
地図だけがたよりであった。
2人の会話は“冗談じゃない。この先に、本当に加須良があるのか!とにかくゆっくり行け、左を見るな!”である。


林道加須良線真ん中奥国道156号から
それほどの断崖絶壁が行く手の左側に口を開けて待っているのである。
 それにしてもよくもまあこれだけの道を開けたものだと2人で、口から出る言葉はそれだけである。
“これはやはり、どう考えても平家の落人伝説しかないなあ、それしか考えられないなあ!”
行けども行けどもそれらしき部落はない。
もしかしたら間違ったんじゃないか?不安が横切る。
多分2:00~2:30位はかかっていると思う。


上の写真と同じ様だが違う所か?
距離にしては大した事はなかったと思うが、何せ秘境極まる断崖絶壁。
休んでは驚きの連続だった気がする。

とにかくもう少し行って見るかと言う事になった。しばらくして加須良川から右にずれた、つまり、道の林道を挟んで確か左側のわずかな平らな所に1人のお婆さんが畑を耕していた。
右側は多分山が迫っていた記憶がある。
近くにはあやふやだが、何か軽トラックの様な車があったと思う。
しかし誰が運転して来たのだろうか?よくこの道をきたもんだ!!
“あれー1人だよな、ほかに居ないのかなあ?”聞いてみるか?と言う事になった。
“すみませーん、加須良の部落はどこにあるか知っていますか?”いつも通りの事である。
“おたくは(言ったかどうか分からないが)、どこから来たのかねー?” “長野県からですがぁー”
“よくまあここまで来たなぁー、加須良はもう無いよ!。1年前に廃村になって今は誰もいないよ”
確かに見れば分かる。廃屋さえも無いんだから。
Tの言うには確かに廃屋ではなく廃材の山があっただけだと言う。
“まさか!”
記憶にはないが勿論色々聞いて話をしたと思う。
何しているんですか? お一人ですか? 加須良の人ですか? 何処から来たんですか?
あの車で来たんですか? ご家族は? これからどうするんですか?・・・・・・等々
“そうですか、残念だなあ!ここまで来て何もないんだから、しょうがないか!どうする?帰る?”とお互い顔を見つめてがっかりしていた。

午後はとっくに過ぎていた。これは確かである。これじゃ引き返しても遅くなってしまう。という感じは持っていたから。
ところでお婆さんはこれからどこに帰るのかしら?と思っていたら、(勿論そこらの事も聞いていたと思う)心配そうに言って来た。
“加須良は無くても「桂」はあるよ” 桂って何だ?加須良と違うのか?カツラとカズラ、お婆さん間違ってるんじゃない?そしたら
“同じ合掌部落でこの山を越えたところにあるよ”と訳の分からない事を言って来た。
“ここから下に戻れば山を越えて、桂に行く道があるが少し遠いのでこの山を越えたほうが早い”
そんな道があれば当然気が付くはずだが気も付くはずがない。
多分我々も桂の事は初めてだったから桂のお話を伺ったことは間違い無い。
“どの位かかるの?” “そうだな、1時間くらいかなぁ”
“この山を越えるって道が無いんじゃない?本当にこの向こうに桂があるんですか?”
親切に、丁寧に行く道を教えてくれたに違いない。

今考えるとそこまで知っているからには当然このお婆さんは加須良の人であったことは間違いない。勿論記憶にはないが最初の雑談の中でそこらの事は聞いていたと思う。
内容を覚えていないので残念である。
念を押してお礼を言っていく事に決めた。
当然その頃も道路地図は持っていた訳だから桂の部落が地図にあった訳だ。まさか無かった訳は無い。加須良までは地図を目当てに来ているんだから。反対に越中桂の知識が全く無かった事の方が正しいのではなかったか?

行く事に決めたと言っても、何で決めたか記憶にない。と言うのももう午後はたっぷり過ぎている。
行けば泊まるとこもないし、勿論帰っても来れ無い。
多分1時間で向こうについて何もなったら引き返して計2時間、戻ってきてもまだ日があるから大丈夫と判断したんじゃないかと思う。
今考えると恐ろしい。何故なら全く知らない山の谷でまだ日があるから2時間後もまだ大丈夫だという計算が、その地形や気象を全く無視しての判断だから!熊もいるだろうに!そんな事は全く考えもしなかった。
これが青春の「特権」か?とにかく行けば何とかなる!であったと思う。

とにかく、単車を道の端の平らな所に止めて、場所をもう一度確認して、リュックを外して背負い出発した。
「とにかくこの山を越えればいいんだなぁ、越えればなぁ」と2人不安を抱きつつもブツブツ言いながら斜面を這い上がりだした。斜面と言っても若者にはそんなにきついとは思わなかった。
這い上がると言うのはつまり斜面が落ち葉で埋まっていてとにかく滑るのだ。這うと言う表現の方がピッタリなのだ。
回りの小さな木を手繰り寄せてつかみながら幾度となくスリップしてようやく平らな所まで上った様な気がした。回りを見ても部落なんか見えない。
「今度は下ればいいんだなぁ」何かあのお婆さんの言った事が会ってきているのに安堵感を覚えた。
案の定今度はもっと滑る。落ち葉のスキーをしているようだ。下りは思った以上に早くて危険だ。登りの半分以下位の時間だったかもしれない。
ついに川が目に入った。我々の記憶では「桂川」である。今の境川か?
地図で位置を確認して安堵したことは記憶に薄っすらある。


出典:地理院地図を加工して表示
桂湖を無くしてある。行程図を挿入